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今年の秋はアンパンマンのマーチに2度も泣かされそうになった。
3年ほど前に自転車が壊れたとき「まぁ徒歩の方がカロリーを消費するらしいし…」と、買い換えることもなく過ごしていたが、先日の健康診断で体重が前回測った2年前より12kgも重くなっていた。
そんなことは関係なく、この春に見つけたベーカリーが歩いていくには若干遠いので、お金の余裕ができた秋ごろに理想に出来るだけ近い自転車を購入した。
インターネットで注文していた車体をワイズロードの府中多摩川店で受け取ると、山口県の下関市の郷土料理である瓦そばの袋麺を求め、自宅とは対角線上にある西国分寺駅前の東武ストア にしこくマイン店に向かった。その道中で久しぶりに自転車の推進力を感じて、陽気になった私は『アンパンマンのマーチ』を歌っていた。
『アンパンマンのマーチ』を無意識に古い記憶の奥底の方から呼び起こしていた。「どうか忘れないで生きる喜び」と歌いながら、その数日前に好きなシンガーソングライターが亡くなったことを思い出して涙がこぼれそうになった。
自宅に帰って、歌詞を確認してみると「どうか忘れないで生きる喜び」なんてフレーズは存在しなかった。単なる私の願いだった。

これは西国分寺駅までの道中にいた子ゴリラと目を合わせようとしない虚な目をした親ゴリラ

これはおじさんみたいな口周りをした熊
それから1ヶ月半ほど経った頃、15時過ぎに自宅で仕事をしていると『アンパンマンのマーチ』が聞こえてきた。
鬼気迫る鼻歌の『アンパンマンのマーチ』だ。
私は苦学生のためにあるかのようなアパートに12年以上も住み続けているので、隣の部屋との壁の薄さはよく知っていた。
その日も「壁が薄いからな〜」と気にせずに過ごしていたが、隣人は深夜2時を過ぎないと「ヒャッハー!!!」と叫び出さないので、若干の違和感は感じていた。その隣人とは2年以上お隣さんをしているのに姿を見たことがない。隣人ならば姿を見られる可能性のあることはしないはずだ。
だからドアガチャをされた瞬間に隣人とは別の誰かが『アンパンマンのマーチ』を歌っていたことを確信した。
恐る恐る玄関のドアスコープを覗くと、その先には見覚えのない成人男性が揺れながら立っていた。彼は荒い鼻息で『アンパンマンのマーチ』を奏でながら私の気配を察したのかドアの前に迫ってきた。アンパンマンのマーチとは言ったものの、あのメロディーに行進曲のイメージはなかったし、部屋に入ってくるのは行進曲を歌っていたところで看過できることではなかった。
私が後退りをした直後に彼は再びドアノブを乱暴にガチャガチャと鳴らし、身の危険を感じた私は人生で初めて警察に通報した(私の部屋は1階にあるので、裏に回られて出窓のガラスを叩き割って侵入されることへの不安もあった)。
その日、彼は警察に連行された。名前も住所も言わず、身分証も持っていなかったため警察署内の留置所に泊まることになったらしい。加えて、警察には家族らしき人物からの連絡も届いていないため手の打ちようがないとのことだった。
彼が精神に何かしらの疾患を抱えているのは感じていたが、だからこそ専門的な知識があるわけでもない私が個人で対応できることではなかった。
それでも警察に通報する時に「まだ直接的な被害を受けたわけではないのに通報して良いのか?」という迷いがあった。今になって思うと、この迷い自体が冷静な判断力を失っていたからこそのものだった。
あのまま通報しなかったらどうなっていたかは、起こらなかった未来の話なので語ることはできない。あの恐怖感を取り払えないまま過ごすことはできないと思った。
あれから1ヶ月が経ったが、警察からその後の連絡は届いていない。彼が家に帰れていたら良いと思うが、うちには2度と来ないでほしい。話をしたいとは思わないが、彼にも話せる人がいたら良いと思う。
この話に悪人はいない。私が怖い思いをしたのは事実だが、彼に悪気があったわけではないと思う。私の部屋は呼び鈴が壊れているので、もしかするとドアガチャをする前にベルを押していたのかもしれない。彼は誰かに助けを求めていて、心を落ち着かせるために好きな曲を口ずさんでいただけなのかもしれない。
もしあの時にドアを開けていたら、彼の助けになれていたかもしれない。その後悔が今も私の中にある。
ただ、そうは言っても「身の危険を感じたなら躊躇わないで警察に通報して良いと思うわよ!」ということも同時に伝えておかないとダメだと思っているし、何なら今この文章を書いている本来の目的はこちらにある。
私の場合、明確な悪意を持った加害者が相手ではなかったので、少し感傷的になっていたが、そういった例の方が少ないだろう。だから身の危険を感じたら、すぐに110番に連絡するか、その場から逃げるか、周囲を頼るか、とにかく自分を守るための行動を選択してほしい。自分が我慢すればいい、一人で対処しようなんて絶対に思わなくていい。
事件を未然に防ぐことも人々の生活を守る上で警察の職務の1つなので、110番するのに躊躇うことはない。2023年の1月から11月までの警察への通報件数は930万3573件で、この10年間で最多だったらしい。
人口の約7.5人に1人は通報した計算になるが、実際はストーカー被害のように1人の人物が何度も同じ人物から被害を受けている場合もあるはずなので、警察に通報することは身近ではないという人も多いと思う。そういう人でも身の危険を感じた時に身近な選択肢として躊躇せずに110番に連絡できるようになればいい。
これは私の1つのサンプルにすぎないが、今回の通報を受けてくれた方はとても優しく、穏やかな語り口だった。
何度かカウンセリングを受けたことがあるが、その時に話を聞いてくれた先生たちの雰囲気と近しいものを感じた。
こちらの感情を押さえつけることなく、冷静になれるよう話を聞いてくれたので、心を落ち着かせて警察が来るのを待つことができた。
もちろん警察を信用できるかどうかは、住んでいる地域によると思う。
それでも通報したという事実があなたの未来と権利をを守ってくれることもある。だから身の危険を感じたのなら110番に頼れば、最悪な状況を脱することはできると思う。どうか自分を守ることを恥や弱さの表れだとは思わず、心穏やかにいられる選択をとってほしい。