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誕生日の夜、半額シールを貼られた弁当とお刺身を目当てにスーパーに徒歩で向かっていると、壱万円札が落ちていた。
これは試されている。私はいつも試されている。
誕生日の夜に壱万円札を拾った。誕生日というだけで何か意味づけをしたくなる。「これは神様からのプレゼントなんじゃないか?」
いつもなら「神様がいたとしても何の信仰心もない私に施しを与えてくれるはずがない」と思うはずなのに、その日が誕生日だったというだけで神の存在を信じたくなった。この1万円は神様からのプレゼントだから受け取らないのは失礼に当たる、そう思えば罪悪感を少しは取り払うことができる。
とは言え、神様なら本当に困っているときに手を差し伸べてくれるのではないのか?これまで私は何度も経済的に差し迫った状態に陥ったことがあるが、そのいずれにおいても1万円が目の前に落ちていることはなかった。
そんなわけで目の前に落ちていた壱万円札は神様からのプレゼントではなく、ただの紛失物だと悟った私は誕生日の夜9時過ぎに交番へと向かった。
交番には2人の警察官と40~50代の女性がいた。「落とし物なんですけど…」とカバンから壱万円札を取り出すと、そこにいた3人全員が「なんで持ってきたの〜」という言葉が漏れ出たような表情をしていた。
私だって誰かが1万円を拾ったなら「交番に届けなきゃダメでしょ!」とは言えない。きっと共犯関係になって、罪悪感を分け合うだろう。
ただ私には誕生日の夜にも関わらず罪悪感を分け合ってくれる相手がそばにいなかったこともあり、この先の人生で罪の意識が残り続けることを考えた末に交番に届けることにした。罪悪感に押し潰されやすい孤独な人間という弱さが私を踏みとどまらせた。
そんなわけで交番で拾得物の手続きを始めたわけだが、現金が裸で落ちていた場合は持ち主が現れることは滅多にないとのことだった。それを聞いた私はニヤつきそうになりながら1万円の使い道を考え始めていた。
そんなに焦らなくても、受け取る権利が発生する2024年12月3日までの3ヶ月間も時間がある。ゆっくり後悔のない使い道を見つけようと思い、はじめに使い道を決めるために4つルールを決めた。
- 贅沢な使い方はしない
- 日常で必要なものには使わない
- 気分を変えてくれそうなものに使う
- ネタに走らない
これらを満たすものとして、いくつか候補を考えてみた。
好きな建築家の作品集
藤原室さんという建築家の作品集が海外で出版されている。そちらの値段は1万円(税別、送料600円)とのこと。1冊の本としては中々なお値段ではあるものの、好きな建築家さんなので値段に関わらず金銭的なこと(奨学金の返済やらなんやらを含め)を気にしないで済むようになったら買いたいと思っていた。ただ、今住んでいる部屋の湿度が異常に高く、せっかくの本が痛んでしまうので保留。
・藤原・室 建築設計事務所 作品集の販売について
https://aplan.jp/blog/tag/%e4%bd%9c%e5%93%81%e9%9b%86/
クリスマスツリー
子供の頃にトイザらスの店内に入ってすぐのところにクリスマスツリーが並んでいるのを見るだけで気分が上がった。一人暮らしだが、今日がみんなのものであるようにクリスマスもみんなのものだ。1万円が戻ってくるのも12月に入ってすぐなので、時期的にも良い。
それにクリスマスツリーなんてあればあるだけ良い。クリスマスツリーの醍醐味は飾り付けをしている最中の言外のコミュニケーションだと思っているのだが、あいにく私にそんなことができる相手はいない。そんなわけでクリスマスツリーも保留。
花束
私は花束を買ったことがない。渡す相手がいなかったというのもあるのが、受け取る側の気持ちを想像してもプレゼントを短いうちに捨てることになるというのは少し心が痛みそうなので選択肢として考えたこともなかった。
そもそも花屋の店先に並んだ色んな花を見ても、そこに付けられている値札が1本あたりの値段だとすると、花束なんて恐ろしくて手を出せなかった。それでも1万円もあれば多少大きなものは買えると思う。ただ贈る相手がいないので今回は見送り。いつかは買ってみたい。できれば『silent』の最終回に出てきた花束のような主役のいない、人によってそれぞれが自分の好きな花を見つけらるものが良い。
厄払い
これが本命。私は2016年に厄年を迎えてから現在に至るまで呪われているんじゃないか?というくらい不運が続いて、首の皮一枚のところで何とか生きながらえるという日々を8年近く続けている。もはや何かに憑かれているとしか思えない。
神社でなら厄年ではなくても、お祓いのようなものはできるらしい。
私は地属性なので、府中にある大國魂神社と相性が良い(これはスピな話です。相性の悪いパワースポットに行ったら体調が悪くなるとかではないと思います。実際、私は知属性と相性が悪いとされる山口県の秋芳洞という鍾乳洞に行った時に呼吸が楽に軽くなったので…だから私は行きたい場所がその人にとってのパワースポットになると思っている)。
大國魂神社の御祈祷は5,000円から受けつけている(一般的なご祈祷料は5,000円、10,000円とのこと)。まずは5,000円でご祈祷をお願いして、何かしら変化があった時に残りの5,000円お礼参りをするというので良い気がする。
ただ、3週間ほど前から急に気持ちが晴れやかになったので、ご祈祷に行く必要は無いのではないか?という気がしている。
そうこうしているうちに1万円見つけられないまま3ヶ月が経ち、諭吉が栄一に姿を変えて戻ってきた。


そういえば3日間用の青春18きっぷが発売されているそうだ。2025年の1月8日までに利用を開始しないといけないが、何も考えずにJRを乗り継いで2度と行くことのない場所に何の目的もなく行くのは楽しそうだと思った。これは良い。
ただ宿泊や食事を含めると、1万円じゃ済まないから、むしろマイナスだ。これは良くない。
なぜ同じ1万円でも、拾った1万円というだけで何か特別な使い方を見つけたくなるのか…
生きる気力がつきそうだった頃にお世話になった後輩を食事に誘うか、拾った1万円だと伝えれば彼に余計な気を遣わせずに誘えそうな気がする。
久しぶりに連絡を入れてみる。